三浦雄一郎

冒険家/プロスキーヤー

1932年10月12日青森市に生まれ。1964年イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、時速172.084キロの当時の世界新記録樹立。1966年富士山直滑降。1970年エベレスト・サウスコル8,000m世界最高地点スキー滑降(ギネス認定)を成し遂げ、その記録映画 [THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST] はアカデミー賞を受賞。1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年次男(豪太)とともにエベレスト登頂、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7ヶ月)樹立。2008年、75歳2度目、2013年80歳にて3度目のエベレスト登頂〔世界最高年齢登頂記録更新〕を果たす。

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三浦豪太

プロスキーヤー/医学博士Ph.D

1969年8月10日神奈川県鎌倉生まれ。わずか11歳でキリマンジャロを登頂。フリースタイルスキー、モーグル競技では10年間にわたり全日本タイトル獲得や国際大会で活躍。引退後は冬季オリンピックやフリースタイルワールドカップ解説と企画、執筆活動やプロスキーヤーとして活躍する傍ら、2003年、父・三浦雄一郎とともに世界 最高峰エベレスト山(8848m)登頂、初の日本人親子同時登頂記録を達成。低酸素環境下の遺伝子発現・抑制の研究を行い博士号を取得。


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三浦敬三

1904年(明治37年)2月15日青森市に生まれる。北大スキー部を経て、青森営林局「青森林友スキー部」ジャンプ選手、マネージャー、監督、部長を歴任。特に八甲田の山スキー開拓者として知られ、その人生を一貫して雪に捧げてきた。また、(財)全日本スキー連盟の技術委員を務め、スキー教程の編纂にも携わるなど、わが国スキー界草分けの一人である。さらに、スキー製作についても深く関わり、製作技術および、それに伴う性能とチューンナップ技術の研究により、それら技術の発展に大きく寄与してきた。亡くなる101歳まで現役のスキーヤーそしてスキー山岳写真家として、1年の約半分を国内外のスキー場で過ごしていた。(享年101歳325日)世界七大陸最高峰からのスキー滑降を達成した冒険スキーヤー、三浦雄一郎の父であり、オリンピック2度出場した三浦豪太の祖父。

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