11月11日
日本→バンコク
真夜中12時、羽田空港を出発
見送りに姉、加恵、雄豪が来てくれた

11月12日
バンコク→カトマンズ
バンコクに5時間ほどトランジット待ち。
ラウンジに入ってゆっくりと休む。深夜便だったので、お父さん、竹岡さんは長椅子で寝る。僕は出発前のあわただしさでやり残した原稿を書く。
バンコクは最近、洪水で大きな被害があった。
カトマンズまで飛ぶときに、飛行機から眺めると、空港は大丈夫だが少し北に行くと水害が広大な面積で広がっていた。
カトマンズに到着するとプラビンが待っていてくれた。
夜はプラビン、ラムさん、ラムさんの息子ウダヤさんと一緒にディリンガーデンというチベット料理屋で食事。ラムさんの息子、ウダヤさんは日本の上智大学にいっていた。日本語が達者だ。
プラビンが父親の看病をしている間、その代わりいろいろロルワリングのハンドリングをしていた。日本名はノボル君という


11月13日
カトマンズ待機
ヘリコプターで直接、3600mのヒンクー・ヒマールにある、コテに行く予定だが、霧で視界がよくないという。天気予報は悪い。
そのため早朝5時に起床、6時には空港でスタンバイした。
ヘリコプターはMountain flightという会社からチャーターした。
空港出発口から、車でぐるっと一周回り、滑走路の反対側のヘリコプター待機場に行く。
カトマンズは昨日から霧が濃く、ルクラまでの出発も滞っているという。
しかし、これはまだましなほうで、先週も同じく霧が続き、ルクラ発着ができず約三千人足止めされたという。同じようにならないように祈りながら、ひたすら駐機するヘリの中でお父さん、竹岡さんと待つ。
5時間ほど待っても飛ぶ気配なし。
プラビンに昼食をどうするか聞かれたので、空港の近くにある、サンセットロッジの蕎麦を食べたいとリクエストした。サンセットロッジは日本人が経営する長期宿泊型ホテル。そこの「Soba Restaurant」はオーナーのスクマン・シェルパが出身地であるツクツェ村の特産であるそば粉を利用して何かできないかと、長野県の戸隠にいってそば打ちの修行を積んだという。
蕎麦の味は本格的。日本を離れて間もないというのになんだか懐かしい感じがした。シェルパの器用さをあらためて確認した。
結局その日はヘリコプターが飛ばずカトマンズ待機。
空港自体濃霧のため閉鎖となり、多くの人が足止めとなり、そのためホテルが予約でいっぱいになる。前日泊まったYak & Yeti には戻れず、Radisonにホテルを移した。
もう一日、カトマンズに滞在するので、ヒマラヤ観光の宮原さんに声を掛けた。たまたま、カトマンズにいた宮原さんは夕食はお客さんの都合で一緒は無理だけど、少し立ち寄るとの事だった。
夕方、6時、ラウンジで待っていると、宮原さんが来てくれた。
宮原さんはポカラで新しいホテル建設計画をしているという。ゴンドラで標高1500mの小高い丘に上がった、すばらしいイメージの完成イメージを持ってきてくれた。
いつも夢いっぱいあふれている人で素敵である
翌日も早朝スタンバイなので、早く寝る事にした。


11月14日
カトマンズ(1550m)→ルクラ(2800m)
早朝6時に起きたが、また濃霧が続き、ホテルの部屋でスタンバイだった。
一時間毎にプラビンから連絡がくるが、そのたびにスタンバイが一時間延長されるので今日は無理だと思っていた。
しかし、10時に突然、ヘリコプターのフライトが可能だという連絡が入り、荷物をまとめてバタバタと空港に向かう。
今後の天気予報も芳しくないので、とりあえずカトマンズから出よう計画だ。
10時半にはヘリコプターに乗り込み、目的地である コテ(3600m)に向かった。
ヘリコプターは僕達の荷物をいっぱい搭載して飛び立つ。
お父さんは前にのり、竹岡さんと僕は荷物がいっぱいに積んだ後部座席に座った。
カトマンズ空港はそれほど霧が濃くないので問題はなかったが、山間部に近づくにつれ霧が濃くなってきた。
コテへはいつもエベレスト街道に向かうドゥードゥコシ川の谷ではなくヒンクーコシ川の谷に向かう。
ところが、その分岐点から霧が濃くなり、ヘリは一旦、ヒンクーコシ川に不時着した。するとパイロットがおもむろに後ろのハッチを空けて、ポリタンクを降ろしはじめた。
どうやら予備の燃料をこの川沿いにデポして機体を軽くしてこの先を飛ぶことにしたらしい。
霧が濃いのでいざという時に軽いほうが急旋回できるからだろう
ここから先のパイロットの緊張が伝わってきた
ヘリコプターは飛び立ち、谷の奥に向かう。
霧は少しずつ濃くなってきた。先ほどまでは谷の底は霧が少なかったが、奥に進むにつれ、谷底も山の上も一様に霧が濃くなり、見えにくくなる。
パイロットは急旋回を行い、先ほど不時着した地点まで戻る。
その着地も見事で、その川原自体、10平方メートルもないような場所に、先ほどのポリタンクの場所に30センチもたがわず着陸した。ヒマラヤの山々を飛ぶ山岳パイロットの腕前をみた。
どうやら戻るようだが、ここでどこに戻るかが問題だ。
パイロットは近くの村に降りるというのだが、父がルクラに向かってくれとリクエストした。ルクラはその場所から5分程度。ヘリコプターはドゥードゥコシ谷に入りルクラに着陸した。しかし、霧は生き物のように変化し刻一刻と濃くなっている。空港の姿も見えにくくなっている中、ヘリコプターは超低空飛行を行い空港の滑走路から直角に急旋回を行い、霧の隙間の見えるところを頼りにルクラの空港に着陸した。
その後一分も経たないうちに、僕達が通った空路は瞬く間に霧で閉ざされた。
パイロットの腕前と判断に助けられた。
ルクラには先週3000人ほどのトレッカーが足止めされたというが、今もその状態に近くなっている。プラビンはすでに現地のコーディネーターと話をつけていて、いつもの定宿、伝説のサーダーが経営するホリデーインロッジを手配してくれていた。
カルマさんが空港に迎えに来てくれて、宿に行く。
一応、ここでスタンバイだが、外の様子を見ると普段はコンデピークやすばらしい山々が見えるこのルクラで、隣の店も見えないくらいの濃い霧に包み込まれているため、今日は無理だろう。おとなしく宿でお茶とお昼を食べた
しばらくすると、小川道幸さんが来てくれた。
小川さんは映像ディレクターで僕が11歳のときにキリマンジャロに登った時のディレクターだ。その後もいろいろな企画で一緒になり、最近ではツールドモンブランを追っていて、その中のスター選手、鏑木さんがうちの低酸素室を利用しているため、事務所でも会っている。
今回はNHKの新しいシリーズのため、ヒマラヤの山岳シーンを空撮しに来たという。
話が弾み、ヒマラヤを越えるアネハ鶴の話、トレイルドモンブランの裏話、アメリカ東海岸のアパラチアントレイルの話など、話題に尽きず時間を忘れて話していた。
こうした天気がずっと続くのは今年は異常気象だという。まるでモンスーンが11月になってもあけていないようだというのだ。これから数日間も予報が悪いため、空撮はあきらめているという。
結局、僕達もこの日はコテまで飛べず、ルクラに滞在する事になった。

11月15日
ルクラ2800m待機
朝起きて外を見ると、絶望的に真っ白だ。
一応、スタンバイは朝の5時半に起きてするが、この調子だとヘリコプターは絶対に飛ぶ事はなさそうだ。朝食を食べ終わり8時頃にプラビンから連絡が入り、とりあえず午前中は宿でスタンバイしてくれという。
今日のフライトは諦めているところに、ナワヨンデンさんが来て、ラマカレンダーを見せてくれた。彼は「昨日と今日はラマカレンダーではよくないと書いてある。だけど明日から良好にむかっていくようだ」と励ましてくれた。
しばらくすると、カメラマンの前田泰治郎さんが来てくれた。
前田さんは昔から父の冒険に同行して、南極や南アメリカの撮影をしてきた旧知のなか。
前田さんも小川さんと同じくNHKの撮影で来ているという。
前田さんの息子、りょうくんも来ているという。僕と同年代でありNHKのグレートサミッツシリーズをすでに手がけているタイジロウさんに負けないくらいの日本では貴重な次世代を担う冒険カメラマンだ。冒険家と冒険カメラマン親子がここに一緒になる。
結局、午前中もヘリコプターは飛ばなかったが、タイジロウさんと話をしていたおかげで待機している感じはしなかった。
外は相変わらず霧が濃い。昼食を食べる事にする。
午後も相変わらず霧が谷に張り付いているため、ルクラの街をぶらつく。
街の中は驚くほど人が多い。みんな足止めされている人達ばかりだ。
暇なので、今度は僕達がNHKの宿まで足を伸ばしてみた
NHKの宿はルクラの空港の目の前のLukra Resortホテル。庭付きでインターネットの無線Lanも使える。ここでNHKがいつも見ている天気予報を見てみると、これから後3日間はよくない予報が出ていた。
一帯の衛星写真を見てみてびっくり!!なんと雲がチベット高原一帯に張り巡らされ、それをヒマラヤ山脈がせき止める形になっていた。
こんな厚く広大に張り巡らされた雲なんて見た事もない。これは今日明日にどうにかなる問題ではないと、この霧の深刻さを認識した。
僕はこれまで、この雲はモンスーンに近い形なのかなと思っていた。
しかし、モンスーンは夏にインド洋で温められた雲がヒマラヤ山脈にあたり、ネパールやインドに雨を降らせる。そのため雨はヒマラヤ山脈の南側に多いが、チベット高原にはモンスーンの影響が少ない。しかし、この形はむしろチベット高原になんらかの理由で水蒸気が大量に発生している。この霧はその広大な水蒸気が谷を伝ってこっちにあふれ出ているように見える。
後日、姉にこうした状況は最近のヒマラヤ地方に多いのかと、ウェザーニュースの飯島さんに確認してもらった。飯島さんもこれはこの時期にヒマラヤに通常ないパターンできわめて異例の事、タイの洪水もこれに関係している、との話だった。
こればっかりはラマカレンダーにもどうにもならなそうな問題である
そのため、午後も霧が濃く飛ばない事を確信した僕達は、2時間ほどメラピーク方面のザトワラ峠に向かってトレッキングした。



11月16日
ルクラ(3600m)待機
ラマカレンダーによれば今日はいい日旅立ちである。しかし外は霧でいっぱいなためまたスタンバイだ。
現在、ルクラの人口は通常の300人程度から1000人に膨れ上がっている。その多くは海外からきたトレッカー達で帰りのスケジュールが詰まっている人達ばかりである。
僕達の宿にも日本から来たツアーのお客さんが15人ほど泊まっていた。彼らは29日間のトレッキングを行っていて、帰りの飛行機が心配だという。
僕達はだんだんスタンバイ生活に慣れてきた。外の状況をみて、午前中晴れなければ、午後も晴れないだろうと思い、鈍った体を動かすため、午後は昨日のコースをさらに延ばしてトレッキングする事にした。
昼頃、わずかな隙をついて大型ヘリコプターが飛んできた。
このヘリコプターはなんと30人収容できるというが、そこにわれ先にと100人以上群がっている
その様子を横目で見ながらザワトラ峠方面に向かう。
3時間ほど歩くと霧の中から小さな御茶屋が出現。標高は3200m、足元は雪が30cmほど積もっている。ここでお茶とララヌードル(現地のインスタント面)を食べて折り返す事にした。
ルクラの空港を見てみると、先ほどのヘリコプターはまだ待機している。中には無理やり乗り込んだであろう人達が座っている。
すでに缶詰状態で4時間以上座っている。彼らも、今その席から離れたら他の人にとられてしまうという脅迫観念から座っているのだろうが、いやはや大変な状況になってきた。
午後は、いつもの前田、小川さんチームを誘い、ルクラのスターバックスでお茶をする。
ここには世界最高地点のスターバックスがあるのである。
ここでも昔話や世界中を駆け巡ったディレクター&カメラマンチームの面白い話が聞けて充実した時間をすごした。


11月17日
ルクラ待機アゲイン
昨日の予報を見る限り、今日から天候は回復傾向にあるという。
外を見るとわずかながら霧が少なくなっているようだ。期待に胸を膨らませる。
一昨日から一緒にいる日本人トレッキンググループは国際線の関係上、今日か明日にはルクラを出ないとまずい状況になっているそうだ
しかし、現在、ルクラには飛行機待ちの人が1000人近くいる。
飛行機が再開したとしてもすぐに乗れるギャランティーがない。
噂では、下の小さな町から、臨時便としてヘリコプターが昨日5機でて、約18人の人が無事にカトマンズに着いたという。
その話を信じて、日本人グループは下の町に向かって下りはじめた。
僕達も、今日こそは飛行機に乗れると思い朝の7時からヘリコプターの発着場で待機した。
管制塔からの報告では、カトマンズはおおむね晴れている。しかし、以前としてルクラ方面の谷間には濃い霧が出てきた。
ここまでくればあまり過度な期待は禁物だ。
しかし、僕らにしても2週間しか登山期間がないメラピーク遠征のうち、すでに5日間も登山活動ができていない。
かなり無理なスケジュールをこれから先組まなければいけなくなるが、当の父、竹岡さん、僕もあまり焦っていない。
父なんかは荷物を広げて寝ている始末だ。
どうにもならない状況なら仕方がない。
すると、フェンス越しに小川さんと前田さんが話しかけてきた。彼らの宿はヘリコプター発着場の目の前なのだ。
彼らによると、昨日彼らの宿に泊まっていたドイツ人たちは、毎日続く霧の状況を彼らのシェルパに向かって愚痴や非難の言葉を浴びせていたそうだ。
その様子が相当とげとげしかったらしく、見ている小川さんたちまでとばっちりが来て、「俺たちを撮るな見るな」といわれたという。
そんなもの撮りたくもないよ、と小川さんたちは言っていたが、今の状況にいろいろな反応があるのが面白かった。そのドイツ人の一行もルクラ滞在に耐えかねて下の町に向かった。
昼も近くなり、まだヘリコプターがカトマンズを飛び立てないという。
コーテに先発として入っている貫田さんから、コーテにも霧が濃くなってきたとの報告がある。
まだ、待ちが続きそうなので、小川さんたちの宿からピザとチキンスープの出前を頼む。
しばらくすると、今日は正式にヘリコプターが飛ばない事がわかった。
僕達はいつものごとく、小川さんたちの宿に先ほど頼んだ昼食を食べに行った。
ここでも、彼らが欧州やアフリカの人身売買に近いサッカー事情の話や雪男の話で盛り上がった。
そしていつものごとく場所をスターバックスに移しコーヒーを飲む。
スターバックスのお姉さんから聞いた話だが、今日と昨日でヘリコプターの噂を聞いて300人ほどの人が降りたそうだが、下の町には宿が一つしかなく、20人ほどの寝泊りするスペースしかないらしい。今は泊まるところも、食べるもの、飲むものすらなく、完全にオーバーフローしているというのだ。少なくともルクラでは寝泊りでき、食べる事もできる、そして何よりも情報が集まる。こんな時は無駄に動かないほうが良いという話になった。
それにしても、昨日のドイツ人たちはどんな顔して待っているだろうと小川さんは小気味良く笑っていた。
他にもこんな状況だから起こりえる話があった。
今日は比較的天候が回復したため、ヘリコプターに乗れる可能性があった。そのためすでにルクラにあるヘリコプターに例のごとく人が殺到した。
欧米人たちがわれ先にと5人乗りのヘリコプターに席をぶんどって座った。そこにスイス人のパイロットがパイロット席に乗り込もうとしたところ、乗っていたお客さんがパイロットを殴って「そこはパイロットの席だ!お前が座るところではない!」といったらしい。どうやらその客は同じ欧米人だったパイロットが席を獲ろうと勘違いしたらしいのだ。
今日で停滞は5日目だが、いろいろな話が飛び交っている。
僕達もかなりスケジュールがきつくなってきた。明日にも飛べるといいのだが。


11月18日
やっとコーテ(3600m)に飛び立てる
11月17日から回復傾向にある天気予想図だが、18日は完全に快晴予報であった。
そんな天気予報を反映するように、朝から快晴だった。
目の前にはこれまで望んでも見る事ができなかったヒマラヤの白い頂きが見える。
早朝から今日こそ飛べると期待を胸にこれまで何時間も繰り返し待ったルクラ空港のヘリポートに向かう。小川さんも前田さんも例のごとくフェンス越しに僕達を見送りに来てくれた。
彼らもやっと空撮が再開できると思っていたが、チャーターしている飛行機会社がこれまで1000人近くのたまっていたルクラやカトマンズにいる人達を優先的に運び出さなければいけないため、撮影用のチャーターが後回しになっているという。
僕達のヘリコプターはMountain Flight。先日のパイロットの腕前と判断力を見ると相当やり手のパイロットである。彼を信じて待っている、最初に来てくれた。
荷物を載せてあわただしくヘリコプターに乗り込む。
やっとこれで飛び立てる!!!
期待を胸にローターが回るのを待っているといつまで経ってもエンジンがかからない。ローターのクラッチ?らしきものをガンガンと動かし、計器のスイッチを入れたり切ったりするパイロットだが、ヘリコプターはうんともすんとも言わない。
小川さんや前田さんに手を振りながら、今か今かと飛び立つのを待つ父、竹岡さん、僕。
結局パイロットは機を降りてなにやらカトマンズのメカニックに相談している様子。
僕達もこれはしばらく動きそうにもないと思い、ヘリコプターから降りる。
小川さんと前田さんにさよならを行った手前、バツが悪くまた再会を祝う
この日は絶好のフライト日和。
飛行機もヘリコプターもフル稼働でこれまでの便秘状態だったルクラの町を解消していく。
それを横目で見ながら、次々とお客を乗せて飛び立つ飛行機やヘリコプターをうらやましく見ていた。
まあ、こんな事だろうさ、とみんなで話して、いつものごとくアップルパイを前田さんに頼んだ。
そこにナワヨンデンがきて、新しい雪男情報をくれた。
ナワヨンデンのおじいさんが小さかった頃、うそか本当か雪男は普通の人のようにこのあたりを歩いていたそうだ。人真似が好きらしく、山で竹を切っていると近くの棒で竹をたたく仕草をした、髪を桶で洗っているとそのまねをするそうだ。
ところが、雪男は家畜を襲ったり、娘さんをさらったりするものだから懲らしめるために、いつも頭を洗っている桶に灯油をいれて、雪男が夜中に桶の灯油で頭を洗っているところに火を放った。
すると、雪男の頭は火達磨になり、それ以来、雪男は火を恐れるそうだ
そんな雪男にまつわるエピソードを2~3個しているうちに、突然、ヘリのローターが回り始めた。
あわてて、ヘリコプターに乗り込むようにとパイロットが僕達に声をかける。ちょうどアップルパイが出てきて、それをほおばりながら、ヘリコプターは上昇する。
突然の事なので、5日間も滞在したルクラに感傷的な気持ちにもなる暇もなく、谷をぬけて、V字方向にヒンクーコシの谷に向かっていく。
すると霧がまた濃くなってきた。5日前もコーテに到着する手前で引き返さなければいけなかったが、今回も同じようになってしまうのかと不安がよぎる
ヘリコプターは低空飛行を行い、かろうじて視界が開いている谷底を這うように飛ぶ。すると目の前にコテージの集落のようなコーテが見えてきた。
うっすらと雪化粧に覆われたコーテのバッティ(小屋)はどこか、ヨーロッパの山荘を思わせる。
見ると貫田さんがビデオを構えて迎えてくれた。本来なら5日前に合流しているはずだったが、お互い天気に阻まれて今日の再会となる。
コーテに降り立ち、僕達が降りるとすぐに欧米人が僕達のヘリに乗り込んできた。後に貫田さんから聞いたのだが、どうやらレスキューを必要としていたイギリス人で彼も天気を待ちながらレスキューヘリコプターを待っていた。
ルクラはここと比べると大都会で病院もある。そのルクラに行くのには歩いていくとザトワラ峠という4600mの峠を二日間かけて越えなければいけない。ヘリコプターで飛ぶと僅か15分ほどの行程だ。
コーテは3600mにある村だ。3600mというと富士山の9合目に当たるが、ヒマラヤだとここはまだ入り口だ。谷が深く陽がめったにあたらない寒村だ。
コーテの村にクンガワラという二つに割れた岩があるとナワヨンデンさんに聞いた。不思議な事に割れた岩の間には自然現象による経典が刻み込んであるというのだ。
ヒンクーコシを丸太橋を渡りわたったところにあるというので行ってみた。
確かに、岩は真っ二つに割れていて中には菱形の模様がある。
この模様が意味のある言葉を指しているかと、シェルパに聞いてみると、良くわからないという。クンガワラは「経典岩」という意味だ。見ようによっては意味があるのかもしれない。
寒さはルクラに比べると格段に寒い。ここからは本格的な登山になるので体調管理が重要だ。
これまですでに5日間も無駄に停滞していたため、メラピークの頂上を目指すのはかなりきつくなっていた。
登山予備日は2日間とっていたが、それもとっくに消化している。
残る方法は、高度順化の日程を切り詰めて登るのだが、これも危険が伴う。とりあえず、貫田さん、お父さんと検討した結果、コーテの標高での順化はスキップして、翌日、タンナに向かう事に決定した。タンナ以降の高度順化に関しては体調を見ながら行う事にした。
今回の遠征の大きな目的は父の体調をみることだ。日程が切迫してきたので焦りがちだが、それによって体調を大きく崩すような事があってはならない。これまで心電図で父の心臓の調子をみてきた。多少なりとも不整脈が出ている。慎重に登山計画を考えなければいけない。



11月19日
コーテ(3600m)→タンナ(4250m)
コーテからタンナに向かう。天気はこれまでとはうって変わって快晴だ。6時30分に起床、8時出発予定だったが、多少遅れて8時20分にスタートした。
これまでの悪天で降り積もった雪は、早朝の寒さでしまっている。今回僕の試みは運動靴でアプローチを行うというものだ。
前回、清掃登山のためにヒマラヤに来たときはサンダルでルクラからエベレストBCまで往復した。この時、登山靴よりも足首の捻挫もなく、足が疲れなかった事がきっかけとなり自由に足首から下が動けたほうが、結果怪我がしにくいのではないかと考えたからだ。
しかし、11月末ともなれば雪も降るのでさすがにサンダルはと思い、トレイルランニング用の靴を履いた。しかし、トレイルランニングの靴もあまりにも地面がぬかると濡れてしまう。今朝の寒さは雪をしっかりと締める役割を果たしちょうど良い。
メラピークを登るにはヒンクーコシの谷をぐるりと回りこみアプローチをする。?マークを反転させた登山ルートといえばいいのだろうか。タンナははてなマークのちょうど曲がり角に当たる。
ヒンクーコシはザトワラ峠という4600mの巨大な峠に阻まれているため、一般トレッカーが来る事はめったにない人気の少ないルートであるが、僕がこれまで見たことのない角度から望むヒマラヤ山脈に心を躍らせた。
昼食は11時17分に到着したザワレという、小屋の跡地にピクニックよろしく、太陽が燦燦と降り注ぐなか、タープを敷いて食事を用意してくれた。スパゲッティに思い思いのSBにお願いして送ってもらったソースをかける。
目の前にはマッターホルンを彷彿させるピーク43とクスマカングルが聳え立っている。右手の高峰は何かとシェルパに聞くと、これがメラピークそのものだという。
ここから見るメラピークは雄雄しく、これまでイメージしていた「歩いて上るトレッキングピーク」のイメージを払拭した。
まるで螺旋を上るように頂上に至るためルートの傾斜はそうでもないが、やはり目指す頂点はヒマラヤ山脈そのものだ。
タンナには3時50分に到着する。ここも日当たりがいいとはいえない。僕達が到着した時ですでに陽は山間の中に入り急激に温度も低くなってくる。
ここの標高は4250m。多くの人にとって4000mは高度順化の一つの壁だ。
ここで体調を崩すと立ち直りにくい。下手したら一度降りて順化をやり直さなければいけない自体になる。日程がすでに切り詰めている今回での遠征でそれは致命的である。
体を温めて、しっかりと呼吸を意識しなければいけない。
僕とお父さんは特に目立った体調の変化はないが、竹岡さんは若干喉を痛めていた。今回の遠征の成否は明日の体調にあると僕は見た。



11月20日
タンナの決断
昨日の夜は正直あまり眠れなかった。最初に4000m以上に来ると眠りが浅かったり眠れないことが多い。
父の心電図を診てみると、いつもは30秒に3~5回程度の不整脈が、今朝は13回も出ている。体調を聞いてみると悪くないというが、やはり父も高度の影響を受けて昨日の夜はあまり眠れなかったという。
判断に迷った。
貫田さんと日程的にメラピークを登るには各キャンプの宿泊を一泊ずつにしなければ頂上にたどり着けない事になっている。
確かに僕達は自分達の施設で低酸素トレーニングを受けている。しかし、実際に登山する時現在の状況を踏まえながら行動をしなければいけない。
そのため4000m付近を急ぎすぎると高度順化が不十分なため様々な高度障害のリスクを負うことになる。事実父の不整脈もここに来て急激に増えている。
考えた結果、今日はここで一日とどまり、じっくりと高度順化活動をする事に決めた。
問題になるのは日程だ。
ヘリコプターのピックアップ予定は11月25日だ。
今日タンナにいるとすると、タンナ→カーレ(21日)、カーレ高度順化(22日)、カーレ→メララキャンプ(23日)、メララ→ハイキャンプ(24日)、ハイキャンプ→山頂→カーレ(25日)、カーレからヘリコプターでカトマンズ(26日)になってしまう。
国際線の予約は27日なので、これではヘリコプターの予備日がなくリスクが高い。
リスクを回避しながらメラピークの頂上を目指す事はできないものかと考えた結果、父が妙案を考えた。
それはメララのキャンプをスキップして直接ハイキャンプに入るという事だ。
もともと、アタックが始まるとその時点での高度順化で挑まなければいけない。
今回の場合どう考えてもカーレのある5000m付近でしか高度順化を進める事ができない。高度で心配なのは行動中の標高よりも、睡眠中の高度だ。呼吸が浅くなり高山病になり易い。
そのため、順化高度よりも高い標高で宿泊するのは少ないほうがむしろいいのだ。
しかも、聞くところによると、メララからハイキャンプは難しいところも少なくそれほど時間もかからないというのだ。
過去に実際、岩崎元朗さんがカーレから直接ハイキャンプ(5800m)に入っている
丁寧に行きながら、頂上を目指すにはこの方法が良いと考え、タンナで高度順化と体調を整える事にした。
タンナの裏にはちょうど4800m付近まで登れる山がある。進行方向とは反対のメラピークから対岸の山である。急斜面ですぐに高度を上げられることから、朝9時20分にゆっくりとスタートした。
裏山から次の地点、カーレを見ると、巨大な氷河湖が崩壊した跡が見られるかつてはタームパカリと呼ばれた氷河湖で、15年前に崩壊したという。
氷河湖は氷河が溶けて、氷河のターミナルモレーンにたまる水が湖と化す。
しかし、モレーンは崩れやすく、水圧が上がるとそれが崩壊すると、ダムが決壊したように谷の下手にある村を襲う。
15年前におきた氷河湖の決壊はタンナ、コーテ、そして付近のゴンパをすべてのみこむ巨大な洪水だったという。
しかし、異変に気がついた住民たちはすぐに山に登り難を逃れたというが、僕がこれまで上がってきた時に見た巨大な岩や大木があらぬところにあり、そのすさまじさを物語っていた。
現在でも氷河湖はヒマラヤ山脈のいたるところにあり、決壊の危険を含んでいる。そういった意味で、このタームパカリの氷河湖跡は学術的にも貴重なものであり、近年の異常気象への警告であるといえるかもしれない。
僕達は標高4700m程度上がったところで降りてきた。
一度、標高が高いところに行くと、標高を下げた時、呼吸がしやすくなったような気がする。
タンナの太陽は貴重だ。朝の10時から、午後の3時までしか日が当たらない。帰るとその小春日和の太陽を享受してピクニックランチとする。
午後はゆっくりと過ごした。



11月21日
タンナ(4250m)→カーレ(4800m)
カーレに移動する。
昨日一日高度順化を行ったおかげで、ゆっくりと眠る事ができた。
朝起きるとけだるさがあるのは眠れた証拠である。
お父さんの不整脈の数も昨日の13から、9程度になっていた。まだ若干多いが昨日よりははるかにましだ。
朝8時に出発する。
カーレまでは川沿いを登る。天気は18日までの濃霧が嘘のように毎日晴れ渡っている。川のせせらぎを聞きながらお父さんを先頭にゆっくりと上がる。
竹岡さんには自分のペースで登ることを指示する。竹岡さんとは2ヶ月前から心拍数をベースとしたトレーニングを行っていた。普段の心拍を把握しながら運動する事によって、自分の基本となるペースをつくるのだ。
この方法は標高が上がっても有効で、若干心拍数を抑え気味、110BPM(一分間の鼓動数)程度であればずっと竹岡さんは行動できる事がわかった。
そのため、無理して父のペースについてこなくてもいいという指示をした上で、呼吸とペースに気をつけながら進むようにしてもらう。
父も同様の心拍計を付けている。これは記録できるもので、父のペースを計ると同時にどの程度の頻度で不整脈がでたかを知るのに大事なツールとなる。不整脈が起きると極端に心拍が遅くなったり早くなったりするからだ。
父に不整脈がでるのは朝が多く、意外に運動中にでる事が少ない。
以前は心房細動が多かったがカテーテルアブレーションのおかげで少なくなった。しかし最近では苦しくなると心房頻脈が多い。これは心房が激しく脈打つ症状でこうなると足が前に出にくくなる。
そのタイミングで心電図をとるのだが、今回の心拍計は腕以外のところに付けるとあまり受信がよくなく、第三者の僕が見ることができない。そのため父に取り付けてもらい、その結果を夜にPCにダウンロードして状態を計る。
今日は順調らしくいいペースで登る。カーレには12時24分に到着した。
予定通りの時間といえば予定通りだが、不整脈が出ていると予定通りにはつかない。
これは昨日の高度順化がうまく行ったと考えるべきだろう。
カーレは標高4800mの村だ。
これまで、バッティ(小屋)が1~2軒しかなかったが、ここは5軒ほどある。メラピーク攻略の鍵を握る村で、村の装備の品揃えも多い。
見てみると、15年ほど前のモデルのスキーや登山具もレンタルできる。
トレッキングのスタイルでここに来たとしてもどうにかなるのだ。
しかし年代モノが多く信頼できるかは別問題だ
ここからはトレッキングとは別の考えで山に臨まなければいけない。
雪山装備や父と僕にとって、スキーの手入れや確認が重要な作業となる。幸い早い時間に到着したため、登山装備とここに運んでもらったスキーの状態を確認する。
ブーツとスキーの合せ、アイゼンとスキー靴、高所靴との合せ、シールをつける、高所用の装備を一通り確認する。
翌日は高度順化だが、できれば雪があるところまでいって一通りの装備を確認したいと思っている。そのための準備を行った。
先行している川名さん、篠塚さんペアは現在ハイキャンプにいるという。彼らにとっては明日が正念場だ。



11月22日
カーレ高所順化
昨日考えていた、氷河の上でスキーをするという考えは、シェルパに相談したところ、カーレから3時間近くかかるというので却下した。
3時間もかけてスキーや登山道具を確認すると、往復で5時間以上もかかる。そうなると疲れがたまるうえ、午後に戦略的なテント、食、その他の備品などの確認に支障をきたしてしまうからだ。
カーレからメラピーク方面に上がるには急斜面が多く、途中がけ崩れのような箇所を通る。そこをすぎて標高5000m近くに行くと季節営業のバッティ(小屋)がある。
残念ながら、今回登ったときには休業中で、貫田さんとコーラを飲む目論見ははずれてしまった。
このバッティから数十メートルいくと雪が積もっており、ここがクランプオンポイント(アイゼン装着)となる。今回は上部の氷河まで行くつもりはなかったのでここで時間をすごす事にした。
ここには多くの動物の足跡があった。マーモット(ねずみのでかいやつ)、犬、鳥などの足跡が雪面に点々とついている。
その中でひときわ大きな肉球を含んだ足跡がある。一列にその足跡は続いていた。以前これと同じような足跡を見たことがある。
シシャパンマでユキヒョウを見たときだ。
この足跡はユキヒョウか?とシェルパに聞いても「メイビ(多分)」としか答えてくれなかったが、僕としてはユキヒョウだと思う。
高度順化を終えて昼食をとっていると、川名さん、篠塚さんペアが登頂したニュースを受けた。
二人は朝の8時45分に山頂に登頂して現在下山中だという。
昼食を終えると、父と竹岡さんは寝てしまったが、僕は明日の準備のために大忙しに動いていた。
テントの数、食料、ガスなど計算しようとシェルパに相談した
すると、シェルパはハイキャンプまでポーターが上がるからそんなに心配しなくてもいいよ、といった
テントは?と聞くと、
テントはメンバーが必要な分だけ言ってくれたら上げる、という
EPIガスは?と聞くと
プロパンとコックを上げるから食べ物の好みだけ教えてという
これまでエベレストでのタクティックに慣れていた僕はこの大雑把なハイキャンプの勘定に驚いた。
そんなこんなであっという間に準備が終わってしまった。心配するのは個人装備だけとなる。
すると、丘のほうから、降りてくる気配がする。
3時15分、河名さん、篠塚さんペアが下山してきた。
見た目は元気であるが、当人に聞くと、出発前から風邪気味で登山はつらかったという。
今朝、シェルパが寝坊して3時スタート予定が4時になってしまい、登頂は8時45分になってしまったという。
その割には早い下山だ。
河名さんは横須賀在住の登山ガイドで、篠塚さんは彼の登山会に属している。河名さんは55歳だがバリバリの現役登山家、篠塚さんは26歳のかわいらしい女性だ。
現役の二人だからこれほどのスピードで登頂して降りてこれたのであろう。
ゆっくりしてもらう事にした。
二人が登頂したお祝いに、夜は僕が丹精をこめてカレーを作った。
名づけてカーレカレーだ!!


11月23日
ハイキャンプ(5700m)にアタック
通常はメララの一泊を経てハイキャンプに登る。
しかし、今回は日程と高度順化を考慮して、メララを飛ばしていきなりハイキャンプ一泊して山頂にアタックする。
そのため通常より早く出発することにした
しかし、通常よりも早くといっても30分だけで、7時30分だ。
日が昇ってからのアタックはどうも緊張感が少ない。
河名さん、篠塚さんと貫田さんが構えるカメラに見送られながら出発する。
ハイキャンプまでのチャレンジはなんていっても竹岡さんだ。
昨日まで体調を崩しており、高度順化もやっとである。
夜に風邪っぽいというので体温を測ってみたら37.6℃!!!
立派な病人である。
僕は竹岡さんに限界はメララの地点だろうと昨日宣言した。
しかし、万が一体調が戻り、それ以上先にいけるのなら、ハイキャンプを目指しましょう、といってあった。メララを過ぎるとそこから下るよりもハイキャンプに行ったほうが早いからだ。
竹岡さんは順調にクランプオンポイントまで来た。体調は昨日よりも大分回復しているという。この調子なら大丈夫か?と思ったら、クランプオンをはめて雪と岩のミックスを歩いているうちに遅れはじめる
氷河上部手前で待っていたら、どうやらトイレトラブルが起きて遅れたという。
この地点で待っていると、ノルウェー人の二人組みに会った。
彼らは昨夜、深夜12時にカーレを出発してメラピークを登頂して帰ってきたという。
彼らにあったのは朝の10時だから7~8時間でメラピークを登った事になる!!!
かなりのハイペースだ。
しかし、かなり疲れている様子だ。聞いてみると、カーレの町で借りたテルモスが壊れていて、水が漏れてしまったという。そのため持ってきたあったかいダウンジャケットもそのほかの着替えも全部ぬれてしまい使い物にならなくなった上、飲み水までなくなった、へとへとだという。
この状態でよく登ったものだと思うが、やはりカーレで借りたものは信用できない。運よく二人は登頂して帰ってきたが、テルモスのような小さなものでさえ、生死を左右しかねない。点検、確認の重要さが良くわかった。
氷河上部につくと楽しみのシール付のスキーを履いた。スキーは雪上ではもっとも移動効率がいいものだと考える。確かにスノーシューは軽量だが、スキーのほうが浮力がある。
まして下りは比べ物にならないほど速い。
氷河からメララまで平らかなだらかな登りだ。お父さんも僕も意気揚々としてスキー靴をはいてスキーを装着した。
足を浮かせず前にスライドさせる。
ストックと足で推進力をつける。確かに前に進む。しかし、氷河のルートは完全に踏み固めてあり、スキーの利点である浮力はまったく生かすことができない。反対にスキー自体の重さが帰ってエネルギーを使うようだ。
たまりかねた父はスキーを脱いで歩き始めた。すると歩いている父のほうがスキーをつけた僕よりも楽に歩いているようだ
ここで教訓を得た、足が埋まるような状況以外は普通の靴のほうが効率いいということを。
メラピークはクレヴァスがあることで有名だ。そのため、トレイルトレース(登り跡)は一本きれいについており必ず踏み固められている。
ここを訪れる数千人の人が付けたシングルトラックは長い年月を経て、それ自体が固まりむしろ雪原よりも浮き出ている形になっている。
シェルパもポーターも良く見てみると普通の靴で上がっている。
僕達はメララについたらスキー靴を脱ぎ、ここまで来た登山靴、僕に限っては普通の運動靴に履き替えた。
するとなんとも歩きやすいではないか!!!
前代未聞の5300m以上の雪原の運動靴氷河歩きだ!!
登山家が見たらなんとふざけているのか、と思われるが、この状況で酸素が少ないなかで、効率がいいことも重要だ。
天気が晴れてて暖かいのが幸いした。
しかし、ちょっと休んで、竹岡さんを待っているうちに冷たい風がメララに吹く。メララの意味を考えてみると、ラ=峠である。つまりメラピークの峠というのがメララで、峠にはさえぎるものが少ない風の通り道だ。一気に体温が下がるのを感じてすぐにダウンジャケットを着る。
竹岡さんも大分苦しそうだ。しかし、ここで判断しなければいけない。登るか降りるか
聞いてみると、目を見ながら、登ると力強くいった。
竹岡さんの装備はシェルパのアリタさんが持っている。彼は22回エベレスト登頂を果たし、現在でも世界最多エベレスト登頂の記録を更新し続けているアパ・シェルパの弟だ。兄同様イケメンで強い。その彼が竹岡さんにぴったりとついて、すべて身の回りの世話をしている。
竹岡さんも自分のペースをつかみ、決してそれをオーバーするようなペースでは歩かない。先ほどからみても、離れているが、父とほぼ等間隔のペースでついてくる。ここまできたら判断は本人の感覚に任せよう。一緒にハイキャンプを目指す事にした。
ここからハイキャンプは延延と中斜面を登る。
技術的なところも危ないところもない。自分のペースをしっかり持っていれば時間さえ掛ければ必ずハイキャンプにつく。
父もペースを延延と歩くモードに切り替えゆっくりと確かに前に進む。
そのペースは大体1時間に標高130m稼いでいた。
11時50分にメララを出発。15時05分にハイキャンプに到着した。
約3時間。とてもいいペースだ。
ハイキャンプにつくとすばらしい景色が広がっている。これまでこちら側の谷では高峰は見れなかったが、ハイキャンプではエベレストが彼方に見える。
そのほかにエベレスト街道では見られない、ベルンゼン、マカルー、チョオユー、アマダブラムの裏側など、素晴らしい高峰が違う角度で見れ、ヒマラヤのジャイアンツが一望できる。
この景色に感動した。
ハイキャンプではキッチンがすでに大きな岩陰にキッチンテントを作っていた。しかし、そこは崖であり、テントから寝ぼけて出てしまったら転げ落ちてしまうような場所だ。ましてや今見ているすばらしい景色を見るのに少し歩かなければいけない
シェルパ達はなぜか雪の上でテントを張るのを嫌がる。
しかし、今回お願いしたシェルパ達はすべてエベレストの経験があるシェルパで寝るところをいとわないシェルパばかりのはずである。
僕はおもむろに以前テントを張った跡のある雪上にピッケルを使い平らにし始めた。
ここでテントを張るというジェスチャーだ。
それをみたシェルパ達は僕と一緒に雪面を平らにし始め、テントを持ってきた。彼らのすごいのはこうなるとものすごく早く雪面をならし、テントを張り終えるのだ。
10分としないうちにテントができ、すぐに地面のマット張った。そしてお父さんにテントの中に入ってもらい休んでもらう。
一通りテントと休む環境を整えると、竹岡さんの声がする。
どうやら到着したようだ。
しかし、それっきり声がしない。テントの配置は父と僕が同じテントで、貫田さんと竹岡さんが同じテントだ。
自分のテントをでて、竹岡さんを確認しにいくと、僕は「良くがんばったね」と声を掛けた。すると竹岡さんはぜーぜーはぁはぁいいながら
「いやー、ここまで来るのは相当しんどかった。途中幻聴まできこえてね~」
と心配させるような事を言う。
すぐに、貫田さんに酸素を用意してもらい、吸ってもらう
酸素を高所で吸った経験がなかったらしく、なれないマスクに口をふさがれると、できるだけ多く酸素を出してほしいという。
通常安静時は0.5リッター程度の酸素があれば十分であるが、竹岡さんは3リッター吸っても足りないから最大の4リッターまで出してほしいという
4リッターは安静時に人が一分間に吸い込める肺の許容量を越える。
運動時以外にこれほどの量は必要としないはずだが、と思い僕は竹岡さんのテントに入り
「贅沢言うんじゃありません!!!」と叱った。
ちょっとしゅんとする竹岡さん。でも聞き分けがいいところが彼のいいところだ。
その頃お父さんは、不整脈が出ているので、同じく酸素を供給する
お父さんはあくまでも無酸素でメラピークまで登りたいらしい。
それは10年前に父が登ったときは無酸素であったからだ
しかし、今回は条件が10年前よりも違う。高度順化の期間も少なく十分に順化していない、10年年齢を重ねている、そして不整脈が頻発しているということだ。
お父さんには最初毎分1リットル吸ってもらい、その後ゆっくりしたら、0.5リットルに酸素量を下げた。
その間も、貫田さんと竹岡さんのやり取りが隣のテントから聞こえてくる
貫田さんは
「竹岡さん、マットの上に寝ないと雪の上に寝る事になりますよ」
とか
「貫田さん、チャックを上げてくれないかね、いや下げてくれないかね」
「竹岡さん、どっちなんですか?」
「何もやる気がおきないんだよ」
そんな会話が標高5700mで行われていた。
夕食とお湯はコックがキッチンテントで作ってくれた
SBカレーと見事な味噌汁をこの高度で作り、お湯もたっぷり作ってくれた。
なんとも贅沢なハイキャンプである。
夕方になると、ヒマラヤの高峰達が黄昏に染まる。
すばらしい景色に明日の好天を祈りながら、眠れるはずのない寝袋にはいった。
明日は2時に起きて、3時朝食、4時出発予定だ。



11月24日
ハイキャンプ→メラ頂上(6476㍍)→カーレ
今日が今回の遠征でもっとも長い一日だ。
昨日の夜は夜中の12時まで時計を確認していたが、それ以降記憶がない。ということは少しでも眠れたということか。
2時にごそごそしているとシェルパがお茶を持ってきてくれた。すぐに寝袋をたたんでスペースを作る。すると、隣のテントから竹岡さんの声が聞こえる。どうやら生きているようだ。良かった。もう竹岡さんはここから降りたほうがいいだろう。
お父さんもごそごそしながら起きてお茶を飲む。
寝る前に服は順番に着られるようにしておく。寝袋が暖かいため、下は長い下着一枚で十分だった。その上にトレッキングパンツを履き、インナーダウンパンツ、アウターパンツを履く。上は長袖のシャツに分厚いエベレスト使用のダウンのみだ。
これでは暑過ぎるのかなと思い、薄手のダウンと風を防ぐアウタージャケットを着て外に10分ほど立ってみた。
すると芯まで寒くなる感じがしたので、やはりこの高度でゆっくりと動くのなら暖かいほうがいいと判断した。気温はマイナス16度それほど寒くないが、低酸素のため体が熱を効率的に作る事ができないのだろう。
順化がそれほど進んでいない6000mは順化が出来ている8000m級に匹敵する。一つ一つの準備は丹念にゆっくりと行わなければいけない。
高所靴一つ履くにも400mダッシュをやったくらい疲れる。かがむ動作を行うと膝で横隔膜が押し上げられ呼吸困難になるのだ。
自分の準備を整えた後、朝食?を食べた後、食後の休みだとひっくり返っているお父さんの準備を手伝う。日本で新しく買ってきた某メーカーの登山靴。登山靴最軽量といううたい文句につれられて買ったのだがアウターが冷えるとチャックを閉めるのに相当苦労するのがわかった。
苦労し、呼吸困難になりながらもやっとお父さんに靴を履かせる。これが8000m級の寒さと酸素だったらと想像するととてもじゃないが同じ作業をすることができないだろう。やはり実地テストに今回持ってきてよかった。使わなければわからない事が多い。
僕自身も一つ大きな間違いがあった
昨日、スキー靴でアイゼンを履いた。
カーレでテストした時はスキー靴も高所靴もアイゼンのサイズは同じだと思っていた。しかし、実際はスキー靴のほうが若干大きかった。
そのため、スキー靴で履いたとき、アイゼンの長さが若干広がってしまった。すると高所靴でアイゼンをつけてみると、アイゼンがゆるくなってしまっっていた。
そのため、凍ったアイゼンのメモリを一つずらすだけでかなり苦労した。
もし靴を二つ用意するならアイゼンもそれに合せて用意しなければいけない。
トラブルがあったものの、奇跡的に4時に出発する事ができた。
暗闇の、ハイキャンプを出発する。
手ごたえのある斜面を登る。暗くて周りの地形が見えないが、正面を見るとオリオン座が頂の上に輝いている。まるで宇宙のなか、オリオン座に向かって飛んでいく錯覚に陥る。
しばらくするとチベット方面が薄明るくなってきた。見ると紫色であるがなんとも形容しがたい色に大地が広がっている。真上ににまるでナイフのような細い三日月がある。
幻想的な光景にしばし、言葉を忘れ立ち止まる。
暁は序々に明るさを際立たせ、そのつど色は変化していく。光が闇夜を押しのけるように周りの山々を照らし始める。
先頭を行く父の姿が、ピンク色に染まる雪の上に浮かびあがる。僕はおもむろにザックに入っているカメラを取り出し、この瞬間を捉えたかった。暗いためそれがかなうかどうかわからなかったがそれほどまでに、幻想的であったのだ。
日が昇ると、先ほどの神秘的な情景は徐々に薄れ、代わりに射るような光線が肌を刺す。
しかし太陽があがったというのに、温度はなかなか上がらない。高所の寒さを克服するにはもっと高く昇る必要があるのだろう。
休憩してサンスクリーンを塗ろうとするが、肝心のサンスクリーンが凍っているらしく、チューブから出ない。しまった、ポケットに入れて溶かすべきだった。
しかし、僕のポケットはすでに冷えたら使えない電子器具、心電計、小型カメラ、パルスオキシメーターなどで満杯だった。
我慢してサンスクリーンが溶けるのを待とう。
6000mを越してから途端に父の歩くスピードが落ちた。
心拍計を確認しても、不整脈がでている様子はない。どうやら、ここら辺が今回の高度順化の限界であったかもしれない。今回はここから酸素を使う事にする。
酸素ボンベを使う事にも大きな意味がある。今回新しく新調したイギリス製のマスクを試すためだ。もともと僕達の使っている軽量酸素はロシア製でありそれに対応するマスクもロシア製である。ロシア製のマスクは大きく下が見えず、ゴーグルやめがねが曇りやすいのが欠点だ。今回、受注生産であるが、貫田さんがイギリス製の新型マスクを持ってきてくれた。
口にはめる箇所は従来のものの3分の一程度で鼻からの下の視界がかなり確保される。
また、口にあたる部分もフィット感があり、空気の漏れがない。
父に聞いてみるとサングラスは一切曇らなかったそうだ。
酸素を毎分1.5リットルに設定する。すると途端に父のスピードが上がった。
酸素毎分1.5リットルは活動する時の最低量だと僕は思っている。細かい計算はしたことがないが、毎分1リットル程度だと、酸素ボンベを背負う重さだけで酸素の恩恵をキャンセルされかねない。その0.5リットルの差の恩恵を得ると父は速くなる。
僕がこれまでの経験から、同じ酸素を使うにも、うまい人とそれほど生かせない人がいる。父の場合、わずかな酸素を得ただけで運動能力が飛躍的に上がるという特異体質だ。
8000mまで僕は無酸素でいけるが、8000m以上で父と同じ酸素の量を吸ってもそれ以上の効果は期待できない。
それほど、父が酸素を吸うと劇的に変化する。
これまで、一時間に80m程度しか進めなかったのが一気に1時間150mほどのスピードに変化する。
時間内に登頂できるか心配だったが、今度は僕自身がついていけるか心配になる。
カメラを持っていた貫田さんも遅れ始める。
これまで前後に行き来していた貫田さんは一度、父の後ろ姿を撮影するとそれから二度と追いつけなくなった。エベレスト二度登頂の貫田さんもってしても父のスピードにはついていけない。
それまでの登高スピードではお昼までに頂上につけばいいと思ったが、メラ頂上直下に9時15分にたどり着いた。お父さんに酸素はポパイにほうれん草並みの威力だ。
平らな場所で落ち着いて最後のアタックの準備と栄養補給をする。
バックにはエベレストが一望できる。写真撮影をゆっくりとした後、最後の核心部の攻略準備をする。
最後はオーバーハングしたクレバスの氷を登らなければいけない。エベレスト登頂7回のニマシェルパがフィックスロープを張る。下にはエベレスト登頂8回のペンバギャルツェンシェルパがもしものときのためにサポートしている。
最強のシェルパがサポートしながら、お父さんは一気に足を取っ掛かりに上げて体を持ち上げた。数分間の格闘であったが父はシェルパと共に上部に消えていった。
今度は僕の番である。
シェルパは僕のことを信用しているらしく、一人取り残された。
核心部の左を見ると眩むほどの崖だ、高い!落ちたらひとたまりもなかろう。
標高6300m付近。僕の高度順化程度だと、足を上げただけでも酸欠になる。
ユマールに力を掛けて先ほど父が足を掛けた場所に足を持ち上げる。この動作一つに20呼吸必要だった。
この高度では呼吸量と運動量が完全に一致しないと動く事ができない。一つずつの動作を丁寧に、ゆっくりと行う。
しかし最後は一気に上らないと体は持ち上がらない。エイサとオーバーハングを越えると酸欠のためしばらく活動不能状態となる。
それからは梯子状に切ってある雪をあがればメラピークの尾根にたどり着く。
恐ろしいほど周りが良く見える。尾根沿いに20mも歩けばそこが頂上だ。お父さんはニマシェルパと待っている。ゆっくりと落ちないように尾根を進んで、ついに6476mのメラピーク頂上にたどり着いた。
しばらくすると貫田さんもペンバギャルツェンと一緒に登ってきた。
みんなでひとしきり喜びあうと記念撮影をした。
周りにはチョオユー、エベレスト、マカルー、ベルンゼンが一望できる。
すばらしい景色だ。
普通の登山隊だったらこれがクライマックスだろう
しかし、三浦家に生まれ以上、山に登るのはスキーをするためだといわれている。
ここまではとってもじゃないけど、スキーを持ってあがる事ができなかった。スキーを担いでくれたのはシェルパ達だ。
彼らも僕達のスキーにかなり期待しているはずだ。
さすがにナイフリッジのような頂上からは無理だが、頂上直下からだったらスキーのほうがむしろ楽に下山できないかという楽観的な考えがよぎる
スキー靴に履き替え、ウェアもダウンジャケットを脱ぎ、薄手のアウターに着替える。
靴のバックルをしっかりと閉め、いざスキーを履いてみる。
ところが、雪は強烈な太陽と風にさらされていたせいか、巨大なうろこ状に固まっていた。あまりにもガタガタでターンができない。まるで素人だ。
お父さんも同じく相当苦労しているようだ。やっとの思いでボーゲンに近い形でターンをしている。
メラピークから華麗なスキーシーンを取ってスキームービーでも制作しようとも思っていたが、これでは・・・・
しかも、無理にターンを続けてしようともうと途端に酸欠になり倒れそうになる。父は酸素をすっているので、先に父に滑ってもらい、僕がすべり降りると父の酸素を奪い取るように吸う。
標高が少し下がると若干楽になった。
雪もスムースで硬いウィンドクラスト状の場所を見つけられるようになった。
バックにエベレスト、それを親子で並走する。最高のシチュエーションではないか!
一緒に滑り始める。1ターン、2ターン、3ターンをする間もなく
父は頭から雪に突っ込んだ。
ウィンドクラストの固い場所と膝まで埋もれる箇所が混在して、スキーが引っかかったのだ。
僕は心配になり「大丈夫?」と聞くと
「ひどい目にあった」といってもう一度、ビデオを撮り直すことにした。
次はバックにエベレストが見える素晴らしいローケーションだ。しかし、ここでも雪質の差にひっかかり今度は胸から突っ込んだ。
結局、ここはスキーには極めて適さない場所だという結論となり父は歩いて降りる事にしたが僕はチャレンジしたくハイキャンプから下も滑り降りる事にした。
雪質の違いはある程度目測できる事がわかった
ハイキャンプ下はてかてかとウィンドクラスとしているのは固い雪、小さな鱗状の雪は柔らかい雪と大まかに決めて滑り、それに合わせて体重移動をする
すると、それが功を奏してかなり楽しめる
調子にのりメララを過ぎた後もルートを探して降りる事にした。
クランプオンポイントで左手正面に急斜面があるのを思い出した
どうにかそこに行けないかと、ルートを探すとあった
40度を超えるような急斜面だが綺麗な一枚バーンだ。
ターンをしてみると意外に簡単にできる。足下からはさらさらと雪が落ちて行く
拍子を合わせて4ターン程で斜面を滑り終えた
ここまでスキーができた事に満足していたが、少し無理をしすぎたみたいだ肺の奥底が痛む。
午後2時6分
ここでお父さんを待つ事にするが結局4時まで待たされた
みんなでカーレの町まで降りる。
カーレの町についたのは午後5時10分
日暮れぎりぎりになってやっとたどり着いた
それから、荷造り、シェルパのボーナス計算、慌ただしく準備して夕食
息をつく間もなくその日(登頂)は過ぎっていった。
・・・登頂成功、無事帰還。






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